【猿江恩賜公園七不思議】(1) |
「置いてけ堀」 |
猿江恩賜公園は、かつて、幕府の御用材を保管する材木蔵でした。そこは賑(にぎ)やかだった本所・深川のはずれ、池や沼が点在する寂しいところで、多くの魚と共に妖怪も棲みついていたようです。 『夕暮れもすぎたころ、本所のあたりを大漁に上機嫌になった釣り人が通りかかると、どこからともなく「置いていけ・・・置いていけ」という声が呼びかけてくる。そら耳だろう、と通り過ぎても、声はどこまでも追いかけてくる。さすがに気味が悪くなって小走りに家に戻り、ふと見ると魚籠(びく)は空っぽになっていた。』「本所深川ふしぎ草紙」
その妖怪が、河童であったと断定するのは尚早(そうしょう)で、人形焼きで有名な昭和26年創業の山田屋では狸、明治時代に歌川国輝の書いた錦絵では妖艶なお姉さんの幽霊として描かれています。 新大橋通りを挟んだ猿江恩賜公園の南側にも葦(あし)の生い茂る小さな池があり、時々、釣り人が糸が垂れている場面に出会えます。傍(かたわ)らで、釣り上げた小魚を横取りしようとじっと狙っているのはコサギ。その立ち姿や気配を殺した雰囲気は、まさに歌川国輝の絵の情景と被ってしまいます。 しかも、直木賞作家 宮部みゆきの推理小説「本所深川ふしぎ草紙」によると、池の畔りでは柳の枝が「ししし・・・ししし」と揺れていたようで、ここが「置いてけ堀」の現場であったか!と、ついつい錯覚してしまいます。
様々な憶測を呼ぶ「置いてけ堀」ですが、個人的には、江東橋にあったとする説を支持します。ここは、今でも日暮れともなれば赤や青のネオンが灯り、お店の前には黒いスーツ姿のお兄さんや白いドレスのお姉さんが「財布置いていけ」と耳元で囁(ささや)きます。そして、家に帰った後財布の中を覗(のぞ)いてみれば、ピンクの名刺と引き換えに、すっかり空になっているのでありました。 |
(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。) 東京下町や沖縄を探訪する(「東京・下町自転車」)、「沖縄花だより」、「沖縄紀行・探訪記」、「真樹のなかゆくい」へも、是非訪づれてください。 |