【3月】 沖縄花だより | (首里の花さがし:後編) | |
首里の花探し。 次は首里城を離れ、龍潭池から県立博物館跡地の横を抜けて末吉公園を目指します。 この道は首里から浦添を経由して本島西海岸を北上する中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)の一部で、付近には古い遺構がいくつも残されています。 博物館跡を過ぎたあたりから緩やかな下り坂にさしかかり、草で覆われた石垣塀が見えてきました。 ここがおよそ150年前に創業し、いまでも現役で営業を続けている玉那覇味噌醤油工場です。当時はもちろん琉球王家御用達、使っている塩は沖縄産の天然島マース、いまでも手作りの天然醸造にこだわっていて容易には手に入りません。[玉那覇味噌醤油工場] 玉那覇味噌醤油工場の角を曲がって突き当たりにあるのが村の貴重な水源だった佐司笠樋川(さしかさふぃーじゃー)。ここは、第二尚氏王統・第三代国王 尚真王の長女の御殿だったらしいのですが、門の表札は「尚」で、いまでも国王の直系子孫が暮しているようです。ここには、井戸拝み(かーうがみ)に訪れる人も多く、入り口の格子には「拝みをなさる方へ ここからご自由にお入りください。」という粋な看板が掛けられています。これが京都だったら、拝観料として300円は取られていたと思います。[佐司笠樋川] 【1月】沖縄花だより(後篇)で紹介したイタリアンレストラン「ラ・フォンテ」も同じ敷地内にあります。ラ・フォンテの売りは、契約農家から仕入れた新鮮な無農薬野菜とイタリア人シェフ直伝のピザとパスタ。綺麗にライティングされたお庭を眺めながら、3月の節句の雛飾りを背に赤のワインを傾ければ、かつての琉球王朝の栄華が鮮やかに蘇(よみがえ)ってきます。[ラ・フォンテ] この先で、ちょっと寄り道したいのが宝口樋川(たからぐちひーじゃー)。首里の村人たちが共同の井戸として使用していた貴重な水場のようですが、いまでは大都会の片隅に忘れ去られた廃墟のような感じになっています。隣に流れる真嘉比川は、生活用水流れるドブ川と化しており、この水はそのまま那覇の中心街に流れていきます。2013年度は沖縄振興予算として3001億円もの大金を政府から頂けることですし、少しは那覇の下水道整備に回して貰いたいと思います。[宝口樋川] |
玉那覇味噌醤油工場 |
佐司笠樋川 |
宝口樋川 |
いつのまにか本編も、本来の趣旨からややはずれ首里の史跡めぐりになってしまいました。それだけでは困るので、これから末吉公園に向かいます。 ここへはいつ来ても、四季折々のお花に出会うことが出来ます。 公園入り口から桜の標準木が植えられている花見橋を目指して階段を下りていくと、濃い緑の葉の間に、鮮やかで可愛らしい真紅の花が目に止まりました。5枚の花びらがしっかりしていてとても美形です。後で調べれてみればテイキンザクラ(提琴桜)という花で、花言葉はさくらと同じ「優れた美人」・・・納得です。 今後、綺麗で素敵な人に出会ったら、テイキンザクラのようだと評してあげれば喜ばれること間違いありません。春から秋まで花をつけているということなので、街中でも見かける機会は豊富にあると思います。[提琴桜] さらに階段を下っていくと花見橋が見えてきて、手前には沢山の花を咲かせたブラシノキがありました。 花に近づいてみれば、まさにコップを洗う赤いブラシです。だからと言って「ブラシの木」という命名は、ちょっと安易ではないかと思います。中学校の頃、なんかの罰で理科室の試験管を大量に洗わされたことを思い出しました。[ブラシノキ] 沖縄には、赤い花が比較的多いことに気づきます。この時期は、ブーゲンビリアが最盛期のようで、町中のいたるところで目にします。傍らでは、赤くてまんまるのオオベニゴウカン(大紅合歓)も咲いていました。英名は「レッド・パウダー・パフ」、和訳すれば赤い熊野筆といったところで、こちらの方が花姿にぴったり合うと思います。 末吉公園には他にも多くの花木や草花が植えられていて、3月に見かけた沖縄の花たちを、一挙に写真で紹介します。 |
テイキンザクラ(提琴桜) |
ブラシの木 |
オオベニゴウカン(大紅合歓) |
コウシュンカズラ(恒春葛) |
ヒメキランソウ(姫金瘡小草) |
オオバナソシンカ(大花蘇芯花) |
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(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。) ついでに、他の「沖縄花だより」や「紀行・探訪記」、「真樹のなかゆくい」へも、是非訪づれてください。 |